近江国庁の成立
実はこれがよくわからない。
いわゆる改新の詔で国司が地方へ派遣されることにより国府がつくられるようになるわけですが、実際に国衙として成立したのがいつなのかわかりません。
大津宮と近江国庁が同時に存在したとは考えにくいので、これまで近江へは何度か訪ねているにもかかわらず近江国庁跡はいつもスルーしており、今回初めての探訪となったわけです。(天智天皇関連でなければほとんど興味がないという偏った志向の持ち主ですσ(^_^;))
文献的には続日本紀に和銅元年(708)、多治比真人水守が近江守に任官された記事が記載され(藤原氏の「家伝」では武智麻呂くんになっていますが)、以後任官記事が頻出しますから、実際に国司たちが赴任していたのは7世紀終盤~8世紀中ごろと考えるのが妥当でしょうか。
遺構から発掘された出土物は概ね2種類に分類され、8世紀中ごろのものと奈良時代末期~平安時代初期のものとされています。
…ということは、実際に国衙として成立したのは8世紀であると考えられるのかな。
近江は大国です。和邇氏をはじめ古代の名族が分布し、渡来系氏族も多数居住していました。壬申の乱により政治の中枢は移動してしまいましたが、依然多くの人々が生活していたのでしょう。
瀬田川をはさんで対岸にかつて存在した都を、当時の人々はどう思っていたのでしょうか。
近江国庁跡については、滋賀県教育委員会HPにわかりやすい学習用解説がありましたので、掲載しておきます。
文化財学習シートNO.008