「朝倉宮と水城大堤」受講
第4回 九歴講座in太宰府「朝倉宮と水城大堤」
2011/8/20 於:太宰府市文化ふれあい館 講師:小田和利氏
九州歴史博物館の九歴講座の出張講演でした。7月にあった九歴講座と同じ内容かな?と思っていたのですが
今回は朝倉橘広庭宮について詳しく説明して下さいました。
朝倉宮は、都が遷されてわずか2ヶ月あまりの短命の宮都でしたので、何もわかっていません。…と思っていたら、現在その推定地として有力候補として上がっている志波地区で、発掘調査がかなり進んでいるようです。掘立柱形式の大規模な建物群跡が発見されています。
岸俊男先生によると(『日本の古代宮都』岩波書店)、遷都の本義は単に天皇の移住にあるだけでなく、より重要なのは政府機関の移転であり、それに伴う官人およびその家族の移動であった、といいます。出産間近の大田皇女まで連れて行ったのは、戦の為のみではなく筑紫の地に或る程度の基盤を置いて宮都とする意図があったのかも知れません。であれば、それなりの規模を持つ宮都であったはずです。斉明天皇崩御という事態になってしまったため、たったの2ヶ月で都遷りするはめになってしまいますが。
水城の築堤について、基底部分と上成土塁では、工法や土質に相違があり、時間差があったのではないかと考えられているそうです。
前述のことと併せて考えてみると、最初水城は朝倉宮へ到る道をふさぐものとして築堤を始め、(万一の時には朝倉宮から筑後川を下って脱出、その間水城でもって敵の進攻を防ぐためのもの)斉明天皇崩御後、太宰府に拠点を移し、軍事施設としての水城を築堤していったのかな、なんて。いや~~すっごくワクワクします♪
これからの研究の進展が楽しみになる講座でした。