クレセントミニオフ(藤井寺から羽曳野をめぐる)その③
「藤井寺から羽曳野をめぐる」となっていますが、柏原にも行きました。九州在住なので、いつでも行けないからついつい欲張って足を伸ばした行程になってしまいます。
◆高井田横穴墓
このあたり一帯に横穴があって氏族全体のお墓だった模様。高井田霊園、メモリアルパーク高井田というところですね。
横穴の横壁の部分に線刻があってガラス越しに見ることが…できなかったのでレプリカ。子供が描いたような、ちょっと可愛い感じですね。葬送儀礼的な意味あるのかなぁ…
◆柏原市歴史資料館
3/21までの特別展示になっていた夾紵棺が見たくてやってきました。夾紵棺の使用例は極めて少なく、特にこちらで展示されているものは絹45枚を漆で固めたものだということでかなり貴重なものです。表面をまじまじと見てみると縦糸と横糸が見え、布を使用しているのがわかります。棺のレプリカも置いていましたが、かなり大きい。板状になったものが発見されたので、実際の棺はどうなっていたのか分かりませんけど、中身どうしたのかな…
※夾紵棺
漆と布を交互に貼り合わせて作られた棺。夾は重ね合せること,紵は麻布を意味する。
平野塚穴古墳(茅渟王?) ※方墳
マルコ山古墳 ※六角墳
安福寺所蔵(叡福寺北古墳? 聖徳太子?)
◆田辺廃寺
百済系渡来氏族の田辺史(たなべのふひと)氏が建てた氏寺と言われていて、クレセント的には重要なところです。
隣接の春日神社さんが管理されているという収蔵庫も見学させていただきました。
昭和46年に発掘調査したあとはそのままになっているらしく、驚くほど瓦がいっぱい。金堂・西塔・東塔・南大門・回廊の遺構が見つかっており、中門の北側に東西両塔を配した薬師寺式の伽藍配置が確認されているそうです。この日訪ね歩いた河内の一帯は古代氏族が競って寺院を建立していて当時の人々からするとまぶしい光景だったのでしょうね。
田辺氏には山科にも拠点があって、藤原不比等の幼少時には山科で養育されていたのだけど、壬申の乱後はこちらに移り住んだ可能性もありますよね。礎石の残る廃寺跡をしばし時間を忘れて楽しみました。
◆杜本神社
資料館から田辺廃寺、杜本神社は公共交通機関がないので、タクシーで移動しました。ひとりだったら歩いてただろうなぁ。ありがたや。
現在の祭神は、経津主命(ふつぬしのみこと)・経津主姫命(ふつぬしのひめのみこと)とされているが、平安初期には百済宿袮永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏(あすかべし)を祀(まつ)る神社であった…ということなんですが、この神社は藤原永手の墓があるとのことで来てみたのだけど、それらしき案内板がない…。
いや、あるにはあったんですけど、…これ?
ちょっと気の毒な感じ?
郷土史とか調べてみると何かあるんでしょうか。
杜本神社は駒ヶ谷駅のすぐそばなので、駅がゴール。強行軍なオフ会おつかれさまでした!
次回オフ会やるときにはもう少しじっくり見て回れるコースにしたいなぁと思った次第でした。