クレセントミニオフ(藤井寺から羽曳野をめぐる)その②
この日のオフ会は日帰りのミニオフ。欲張り行程を組んでしまったので、一つ一つの訪問地にあまり長居はできないんですが、しょっぱなから時間オーバー。いや、だって楽しいんですもの…
そんなわけで、この後は結構巻いて移動。
◆仲哀天皇陵
恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)
考古学名:岡ミサンザイ古墳
【仲哀天皇】
足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、ヤマトタケル第二子(母は垂仁天皇皇女・両道入姫)
皇后:息長足姫(おきながたらしひめ)、神功皇后
色んな意味で気の毒だなぁと思う大王です。
◆アイセルシュラホール
近くの津堂城山古墳で発掘された水鳥形埴輪や井真成の墓誌などが展示されています。阿倍仲麻呂や吉備真備らの遣唐使船に同乗した留学生で、藤井寺市は「まなり君」として推しているようです。
墓誌は復元品との記載がなかったため本物?と色めき立ちましたが、どうやらレプリカです。
◆辛國神社
雄略天皇の御代に創建されたと伝わる。この地方を収める物部氏がその祖神を祀ったのが始まりとされる。ここはわりとスルーな感じで(^^;
◆葛井寺
実はご本尊の千手観音様は4日ほど前までトーハクにいらしていたので心配しましたが、ちゃんととお戻りになってました。本当に千の手を持つ観音様です。
葛井寺の楼門側にある案内板には神亀二年の開眼法要に、藤原房前を勅使、行基を導師として勅号をくだされた、とあるのに西門側のそれには房前が省略されていて房前大好きなクレセント的には不評(笑)
聖武天皇によって葛井連(ふじいのむらじ)の邸宅地に建立され、春日仏師に命じて千手千眼観世音菩薩を造らせたものとされていますが、発掘調査の結果では、7世紀中頃までさかのぼる瓦が出土しているとか。
◆道明寺
こちらも国宝の十一面観世音菩薩がご開帳です。
古くは土師寺と称し、土師氏の氏寺だったのが。次代が下り土師氏の子孫の覚寿尼が入寺し、甥の菅原道真公により道明寺と呼び改められることになった…という由緒あるお寺なのですが、我々の目当ては道明寺餅(!)…だったんですが、売り切れ。道真公由来の道明寺糒を使用しているものだとは知りませんでした…m(_ _;)m